織田信長が薬草を推進した
と伝えられている伊吹山で
伊吹山の薬草は
ほんとうは、
鉄砲の火薬の確保のために
「よもぎ」 などの薬草が必要だった!
と、お聞きしました。
そこで、、、
岐阜県の白川郷合掌集落と同時に
世界文化遺産に登録されました
富山県の五箇山合掌集落の
「塩硝つくり」 を思い出しました!
奥深い五箇山は、
加賀藩が幕府の目から逃れるために
塩硝製造に最適な立地条件だったらしいです。
ここ、五箇山の合掌作りの
「塩硝の館」 では、
塩硝とは、硝酸カリウム KNO3 のことであり
いろりのそばに、深さ1182~212㎝、幅90㎝の穴を掘り
その中に下から
① 穂がら
② 土と蚕の糞を混ぜたもの、
③ 長さ5寸ほどに小切りしたひえ、たばこ、よもぎ、そば、さく、あさなどを敷く
④ ②と③を繰り返し、穴の上から18.2~21㎝まで積む
⑤ ④の上にむしろやこもをのせて、雨風にあてないようにする。
春は、穂がら、そばがら、たばこがらを多く使い
夏は、蚕の糞
秋は、山草の蒸倍
を使い、これを4年おいて発酵させる。
これが、塩硝土だそうです。
4年後に、直径1m高さ60㎝の桶に
この塩硝土をほぐし水を混ぜ、一晩おき
桶の下の穴から水を抜き
この水を煮詰める
次に、灰汁(炭酸アルカリ)を加え煮詰める
この濃縮液を木綿でろ過し鍋に入れて一晩おくと
砂粒や細い針のような塩硝の結晶ができ
これが、灰汁塩硝だそうです。
黒色火薬は
この塩硝とイオウと木炭の混合物になります。
火薬は、中国の四大発明であり、
中国では904年には、火薬の武器を使っていたそうです。
織田信長(1534-1582)の時代には日本にも伝来していそうですね。